if もしも
昔NHKで「その時 歴史が動いた」という番組がありましたね。
歴史に「もしも」という言葉は不似合いだと思いますが、年の瀬に大河ドラマが終盤に近付き「もしも」という思いが頭から離れません。
どのような「もしも」かと言いますと、
「もしも」、秀吉が秀次を殺さなかったら・・・
「もしも」、関ヶ原の戦いで小早川秀秋が寝返っていなかったら・・・
「もしも」、豊臣恩顧の大名たちが長生きしていたら・・・
「もしも」、大阪の役で和睦をしていなかったら・・・
「もしも」、豊臣家が存続していたら・・・
考えただけで眠れません。
無論、江戸幕府が太平の世をもたらした優良な組織であったことは間違いありません。
しかし、晩年の秀吉の奇功が無ければ今の歴史はないでしょうね。
もちろん、私たちもこの娑婆には存在していないでしょう。
そして「東本願寺」も建立されていなかったと思われます。
歴史に「もしも」はありえませんが酒の肴には最高ですね。
思い立ったのでブログを更新してみました。
また近日中にブログ更新いたします。
圓成寺 山脇義道
真宗王国
その中でも石川県は県民の90バーセントが真宗門徒といわれています。
私は京都の大谷大学出身でありますが、石川県の方が実に多かったです。
坊守とのご縁もあり、石川県に足を運ぶのが多くなりました。そこで、真宗王国の文化を沢山触れる機会をいただきました。
金沢は去年、北陸新幹線が開通したため大きく様変わりをしました。初めて金沢を訪れと時は田舎風景の残る素敵な街でしたが今は大都会です。
大都会になったのにも拘わらず相変わらず金沢駅の中央改札口は駅員さんが切符を切ってくれます。
能登までは2通りの行き方があります。
・JRサンダーバード
ご年配の方は雷鳥で親しまれている特急電車です。
阪急池田から阪急梅田まで 約20分
梅田から金沢まで 約3時間半
金沢から能登まで 誰かに迎えにきてもらう 約2時間半
乗り継ぎや待ち時間を入れると約7時間程かかります。
・車(ひたすら高速道路)
中国池田から名神米原まで行き北陸自動車道に乗り換えて金沢インター。
さらに下道で一時間ほど進むと宇出津という漁師町にたどり着きます。
車でもやはり休憩を挟むと7時間ほどかかります。
まさに日本の原風景です。空気は澄み切っていて満天の星空。
能登霧島という、木があるのですが言葉では表現できない鮮やかな深紅色。
魚の美味しさはいうまでもありません。今の時代、大阪や東京でも新鮮な魚は食べられると思っていましたが、能登で食べる魚は絶品中の絶品。格が違います。
そして、何よりも驚かされるのが真宗信仰の深さです。
「なまんだぶ なまんだぶ」あちこちでお念仏が聞こえてきます。
能登地域の寺院の御堂は、どれも大きい。別院クラスの御堂がゴロゴロしています。
七間御堂は当たり前。九間御堂、十間御堂があちこちで見られます。
ただ大きいだけではありません。豪華絢爛なお内陣。みたこともない豪華な格天井に一尺半近くある主柱。金箔や漆をふんだんにあしらった欄間は見事です。
このような御堂がゴロゴロとある能登地域はまさに真宗王国という名に相応しい地域ですね。
この地域には有力寺院が多く、かつて大谷派の教団問題の中、揺らいで離脱した寺院も少なくないみたいです。
石川県は伝統工芸も有名で、「輪島塗」、「九谷焼」、「珠洲焼」、「加賀友禅」、「金沢箔」、日本を代表する芸術品が沢山あります。さすが加賀百万石ですね。
ところで京都駅には0番線があるって事をご存知でしょうか。
本願寺が普請すると石川県の財政が半分傾くといわれたぐらい、北陸門徒が熱心に寄進したそうです。
それ故、京都駅の地主であった東本願寺が、本願寺から一番近いホームにすなわち0番ホームに北陸線をもってきた!!という話があります。真相はわかりませんが、それほどまでも北陸の門徒さんが本願寺の維持に貢献していたということは間違いありません。それ故、真宗王国なのでしょうね。
しかし、真宗王国と呼ばれた北陸地方とりわけ能登は急激な過疎化が進み、門徒も減りお寺を維持するのが大変みたいです。
日本全国、どこのお寺も維持していくのは大変でしょうね。
時代と共に変化していくのは世の常ではありますが、廃寺が増えていくと悲しくてたまりませんね。どんな御堂でも念仏の歴史と伝統があるので、全国のお寺さん何とか踏ん張っていただきたいものです。
圓成寺 山脇義道
続き
思うがままにブログを書いています。それ故、はなし言葉になったり「ら抜き」言葉になったりしていますが、ご容赦ください。
毎日、書きたい思いはあるのですが、なかなか書けなくて・・・
今回は斉藤一について 思うがままに・・・
そしてこの度、斉藤一の写真がみつかったそうです。
実に伊達男ですね。
幕末の近代史はとても身近に感じられ大好きです。
特に新選組は義を重んじ義を貫き通すところが何とも男のロマンですね。
現代の倫理観から考えるとあり得ない行動ですが、改革する勢力があれば保守する勢力があるのが自然の形ではないでしょうか。
幕末に下級武士から新選組。そして新政府軍に敗れ、次は新政府軍として西南戦争を戦う姿は正に動乱期の象徴ではないでしょうか。
斉藤一を始めとする幕末の英雄たちは、かっこよすぎです。
友だちと幕末の話を肴にしながら酒をのむのが、たまりませんね。
私は歴史を考える場合に、どうしても仏教を考えます。
現在の私がいるということは、必ず過去の先祖がいます。
私たちには必ず親がいます。
そしてその親にも必ず親がいます。
親は子を慈しみ願い名前をつけてくださいます。
私たちには親の願いが込められています。
親にもその親の願いが込められています。
私たちには、凄まじい歴史の血を受け継いでいる訳であります。
これは紛れもない事実であります。
私たちがいるということは、私たちの先祖も幕末の動乱期を生きている訳でありますから、仏が歴史を教えてくれているのです。
どこの家にも悲しい歴史、誇らしい歴史、様々あるでしょうね。
全部ひっくるめて今の私が生きている。この瞬間を生きているのです。そして、私たちも仏となって歴史になっていきます。いわゆる三世を生きているわけです。
そう考えると当たり前の事ですが、尊いものですね。
繋がらないものはありませんね。この世で起こることは全て繋がります。
合掌
斉藤一
秋分も過ぎ、朝夕も過ごしやすくなってきましたね。
・食欲の秋・スポーツの秋・読書の秋・芸術の秋、、、
秋は楽しみがいっぱいですね。
そして運動会の季節。報恩講の季節ですね。
今日はお寺の保育園で運動会の予行演習をしていました。
子どもたちは一生懸命練習をしていましたよ。
子どもたちの成長は正に日進月歩。
昨日出来なかった事が今日は出来る。明日にはもっと上手になる。
子どもの頭はスポンジのように、何でも吸収していきます。
故に子どもたちに適当な事は言えません。
「先生なんで?」「先生どうして?」子どもたちの頭の中は「?」だらけですね。
子どもは生まれてたった6年で一万の単語を覚えるという事を聞いたことがあります。
一日一日の成長スピードが大人では考えられません。
保育園におませの6歳になる女の子がいまして、今巷で起こっていることを事細かく説明してくれます。SMAPの解散の事については彼女に教えていただきました。
突然ですが、ここで幼児たちの衝撃エピソードBEST3を紹介したいと思います。
3位
・吉田茂
ある誕生日会の事でした。誕生日会とは毎月1度ありまして、その月の誕生日のお友達がみんなの前で発表し、ご両親と一緒に給食を食べられるという、子どもたちにとっては特別な一日です。
お仕事をされているお母さんもこの一日だけは仕事を休んで我が子の成長を見にきてくれます。
誕生日会の質問コーナーは決まっていまして、初めに「お名前とクラスを教えてください」と尋ねます。次に「すきな食べ物を教えてください」と尋ねます。そして最後に「大きくなったら何になりたいですか」と尋ねます。
子どもたちは前日に家で練習している子もいてるみたいですが、150人の子どもたちを目の前にすると頭が真っ白になって、練習してきた言葉が全く言えません。
「お名前とクラス」は大体の子どもたちが言えます。問題は次以降です。
きっと言いたい事はあるのですが「本当にこれ言っていいんかな?」と思うのでしょうね。そして、最初に言った子どもの真似をして無難に乗り切ります。
3歳児くらいは自分の思っていることを素直に言えるのですが、5歳児になると、緊張したり、羞恥心もでてくるのです。
そして、衝撃的な出来事は起こりました。
ある5歳児の子どもが、おおきくなったら「吉田茂みたいな人になりたい」と言うのです。5歳児にもなると少し高度な質問で切り返します。「どうして吉田茂になりたいのですか?」と切り返すと「吉田茂はマッカーサーに負けず新しい良い日本をつくったからです」と答えました。驚きましたが「家で練習してきたな」と思いました。後々、改めて聞いてみると、確かにお父様の影響はあったかもしれませんが、本当に吉田茂について勉強していました。もう卒園して何年か経ちますが先日会う機会があり、もう一度尋ねると、吉田茂みたいな立派な人になりたいと言っていました。
彼は本物ですね。因みに男の子で多いのは「消防士」や「警察官」。女の子では「お花屋さん」そして「プリキュア」です。
2位
・頑張るきもち
発表会の事です。秋の2大行事と言えば運動会と発表会。
子どもたちは勿論の事、先生たちも大変です。何故ならば子どもたちの発表というのは先生たちの発表にもなるからです。発表会は大きくわけて、「合唱」「合奏」「劇あそび」の三つに分かれています。「合唱」「合奏」はそれなりにまとまることができるのですが、「劇あそび」はそうも簡単にはいきません。
幼児期はとても個人差が大きく、それを一つにまとめていくというのは至難の業です。
ある年長さんのクラスはなかなかまとまりが出来ず、練習しても練習してもセリフがでてきません。劇の内容は子どもたちが好きな絵本の中から決めるのですが、そもそもストーリーが頭に入っていません。
予予行でも予行でも、ボロボロでした。本当にボロボロでした。
発表会まで後、10日間。
先生も工夫をしました。練習を辞めました。遊びの中で楽しんでこっそり「劇あそび」を取り入れました。
すると、前日の最終予行では完璧に仕上がりました。
当日にはそれはそれ感動的な劇で保護者の方も感涙していました。
ただ練習するだけだは子どもには何も響かない事を学びました。
そして私たち大人はいかに素晴らしい作品を見せることが、教育だと思っていましたが、そうではなく、頑張る気持ちを育む事が真の教育だと感じるようになりました。
それにしても、子どもたちの成長を肌で感じる10日間でした。
1位
・マラソン大会
3学期の恒例行事として毎朝マラソンがあります。
冬の寒い時期にマラソンを通じて強い体になってほしいと願いマラソンをしています。
幼児のマラソンだからといって楽なものではありません。ただのグラウンドを走るのではなくて、高校と小学校の外周をグルっと回るコースです。約1キロ。しかも平らな道はありません。50%上り坂。
とても辛いです。私はいつも先頭を引っ張っていく形でペースを作っているのですが、私を抜かしてはいけないというルールがある為、抜かしたくても抜かせません。
子どもたちは、「先生おそい」とからかってきます。
そこで、「じゃあ先生と勝負するか」という話になり急遽マラソン大会を開催する運びとなりました。
チャレンジャーはいつも先頭集団の中にいる6人。全員男の子です。
「よ~いドン」スタートしました。
さすがに5歳児には負けないというのと、私も昔マラソンには自信がありましたので、最後の最後で抜かされて、子どもに花を持たせるというストーリーを頭で描きながら
走りました。
いつも私を抜かしてはいけないというストレスから解放された子どもたちは、最初から全速力で走ります。最後の上り坂でばてると思っていましたが、ところがどっこい、全速力のまま最後まで走り切りました。
年甲斐もなく子どもたちに本気を出したのにも拘わらず負けました。
衝撃的でした。
因みに私は2着でした。一着の男の子はぶっちぎりでした。
子どもの潜在能力は凄まじいですね。
話はかなりそれましたが、題名は「斉藤一」
写真が発見されたそうですが次回に書きたいと思います。
ここが変だよ日本人
ビートたけしのここが変だよ日本人というテレビ番組がありました。
凄く好きなテレビ番組で、外国人が日本の風習や習慣について、徹底的にダメダシをするという番組でした。
生きとし生けるものは必ず死す!という問題は各国共通ですが、風習や習慣というのは国だけでは留まらず同じ国の地方によっても大きな差がありますよね。それどころか、会社や家庭といった小さなコミュニティの中でも、驚かされる事があります。
その中で、日本人の働き方について述べたいと思います。
私は今まで「お盆やすみ」は祝日だと思っていました。しかし、祝日ではありませんでした。(当たり前かぁ。笑)
とにかく、ゴールデンウイークとお盆と三が日は日本人が休憩する日だと思っていました。しかし、保育所では半分以上の方が利用されています。ということは保育士さんもお盆休みはありません。
私は僧侶ですので、いくら小さいお寺とはいえお盆はさすがにお勤めがあります。僧侶は一年の内で一番忙しい時期でしょうが、僧侶以外は休日だと思っていました。
官公庁は開いていますし、デパートだって開いています。
何が言いたいのかというと、みんな働いているのです。お盆休みが無い方のほうが多くなってきたと思います。保育所でも半分以上の保護者が利用されています。
日本人は勤勉であると世界からは言われていますが、私たち日本人にとっては、特別勤勉という意識は無く、ただただ当然のようにせっせと働いています。
皆が休んでいるときに働けば儲かるでしょうし、他社と差をつけたければ働かざるをえません。資本主義とは難しいですね。かといって社会主義・共産主義も苦労が絶えなさそうです。
ヨーロッパ等はバカンスがあるみたいですね。2・3週間休みがあるみたいです。とても羨ましいです。2・3週間とはいいませんが、せめて一週間程のバカンスをつくっていただきたいものです。
お盆は終戦と重なっていて、何か軽んじられているような気がします。信仰の自由があるので宗教的な行事としては難しいでしょうが、古来より日本人が大切にしてきた先祖を敬う習慣を国としてもっとバックアップしていってほしいと願う小坊主です。
四苦八苦
四苦八苦 (しくはっく)
昨日、私が感じた「生老病死」について述べさせていただきました。
「生老病死」とは私たち凡夫が避けて通ることが出来ない、根源的な苦しみのこてですが四苦ともいいます。そして、四苦を含めて八苦ともいいます。八苦とは
①生
②老
③病
④死
⑤愛別離苦
⑥怨憎会苦
⑦求不得苦
⑧五陰盛苦
今ブログでは愛別離苦について思うがままに綴りたいと思います。
愛別離苦(あいべつりく)と読みますが、読んで字の如く、愛する人と別れ離れる苦しみのことを愛別離苦といいます。
難しい仏教の教えの中でも比較的馴染みやすい言葉ですね。
誰もが経験することでしょう。
前回にもお話ししましたが私の衝撃的な出来事として、昭和64年元旦に祖父が亡くなった事がありました。
それはそれは衝撃的で今までに体験したことのない何とも言えない不思議な不思議な感情が沸き起こりました。それと同時に幼かった私の小さな心では抱えきれないとても深い悲しみに包まれました。
幼かった私は、正信偈をお勤めすることにより祖父が極楽浄土に行くことができると信じて、毎日欠かさずお勤めをしていました。
それまで本堂に行く事が恐ろしかった私は本堂に行きお勤めをすると祖父が幸せになるのではないかと思い、自然と本堂でお参りすることが私自身への幸せになっていったことを思い出します。
子どもって素敵ですね。
浄土論はともかく、当時の私としては仏教が身近に感じることができた祖父とのお別れでした。
圓成寺 山脇義道
8月1日
職業柄、24節気の話を絡めつつブログを書いていこうと思っていましたが、もう半年も経ってしまいました。
その間に、春のお花見会や、春の永代経法要等、ブログのネタが数々ありましたが日々の雑用に追われ今日に至る次第であります。
何故、ブログを書こうかと思ったのは今朝一番に飛び込んできたニュースでした。
それは昭和の名横綱、ウルフこと「千代の富士」の死であります。
私が幼いころ学校から帰ってきて、おばあさんと大相撲を見ていると、いつも勝っているイメージがあり、あの黒の廻しの姿はとてつもなくかっこよかった。
間違いなく小学生だった私には最強のヒーローでした。
小学校の修学旅行で伊勢に行った帰りに、電車のテロップに「千代の富士引退」と書かれていて目を疑ったのを今にも鮮明に覚えています。
「体力の限界、、、以上」名言ですね。
まだ幼かった私には、なんで引退するのだろう。一つ負けただけではないか。と思っていました。というよりもヒーローは不滅なんだと思っていたのかもしれませんね。
そして時は同じ頃、おじいさんが浄土に還られたことを思い出します。
私にとっては初めての「身近な人の死」でありました。衝撃的でした。何が起こっているのかよくわかりませんでした。死とはこういうことなのか。と初めて気づかされました。まだ私は考え方も幼く幼稚で理解が乏しく、ただ涙が止まらなかった事だけが記憶に残っています。
今振り返ってみますと、いわゆる「生老病死」について初めて学んだように思います。
様々な思いが交錯し、苦しみ悲しみ、もがきながら生きている私
入退院を繰り返し病と闘っていた祖母
そして、昭和六十四年元旦に死した祖父
生あるものはいつか衰え死に帰す。とういう当たり前の事を教わりました。
それにしても昭和の大スターがまた一人浄土に還られました。
寂しいですね。
今月は盂蘭盆会です。
お盆参りをご縁として、亡き人を偲びつつ、私たちの生き方を見つめなおしたいですね。この暑い時期だからこそ襟を正し、精進していきたいものです。